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頭ん中の整理整頓  


by kiminoseki
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大陸になった

口蹄疫に関して、どうしても言いたい事ができたので、書きなぐっておきます。

日本人の議論において、相手の言動への批判と相手の人格への批判が極めて混同されやすい、というものがあります。
「あなたの○○という行動(発言)はおかしい」というセリフは、言葉どおりなら「○○以外には特に問題を感じていない」という事になります(まだ指摘してないだけかもしれませんが)。
ところが、往々にして受け取った側は自分の全人格が否定されたかのような反応を示します。
上司の施策のひとつに誤りがあり、それを指摘したとしても、全体として上司の能力への評価は揺るがないはずなのですが、たったひとつの指摘が「メンツをつぶした」などととられかねず、部下からすると、いらぬ気遣いを常に要求される事になります。
ようは「悪いは奴は、やる事なす事なにもかも悪い」と考えがち、というかそうあって欲しいという欲求があって、その願望を現実に投影しがちという事です。

口蹄疫に関して、民主党の対応がズタズタだったのは間違いないと思います。断定が言いすぎなら、ズタズタだったと確信している人が一定数おり、私もそう確信している、と言い換えてもいいでしょう。
ですが、民主党を批判する言説の中には、やはり、デマも作り話も混じっています。
もちろん、そんなデマや作り話があったからといって、そして、それらのデマを「デマだ」と指摘した所で、全体としての民主党の対応がマトモだった事にはなりません。ズタズタだったという事実は揺るぎません。ですので、別段、「その発言はデマだ」と指摘する事は、「民主党は問題なかった」と言っている事には、まったくなりません。
そして、そういったデマを除いて事実だけを選別する事は、民主党を批判する側にとっても、自らの発言の信憑性を高める事になり、本来は有益なはずなのです。
しかしながら、「悪いは奴は、やる事なす事なにもかも悪い」に従うなら、一部でも悪い奴を擁護する事は、そいつは悪い奴じゃない、と言っているに等しい、という事になります。

裁判などで凶悪な殺人犯(である事が確定的な被告)の弁護士が叩かれるのも、これに近いと思います。
凶悪な殺人犯であっても、擁護の余地があるかもしれません。なければ簡単でいいのですが、ある場合はあると明らかにするのが裁判という場です。そして、「そんな擁護の余地にも関わらず、全体としてはやっぱり死刑」と主張するのなら、それは量刑の問題であり、アリだと思いますが(量刑を変更するには、法律、ないしはその解釈についての裁判所の統一した見解が必要なのでそれを求める事になります。目先の裁判の量刑は、あくまで法律と判例に従うべきです)、「そんな悪い奴なんだから擁護の余地について論じるのすらけしからん」というのであれば、これは問題です。
ですが、後者のような主張、よく見かけますよね。

私は、口蹄疫に関してはあまり知識がありません。
ものすごい被害となっていますが、それが防ぎえたものなのか、最善を尽くしてもどうにもならなかったものなのか、わかりません。感想としては、最善どころか対策が遅れに遅れて被害を拡大した、と認識していますが、「本当にそうか証明しろ」と言われると、ネット上で見つけた文章をコピペするしか能がありませんので、断定はできません。

できませんが、少なくとも、これだけの被害にも関わらず、これまでほとんど報道してこなかったマスコミは、本当に怠慢で役立たずだと思います。いや、思いますじゃなくって、役立たずです。

現在、ネット上に溢れる口蹄疫に関する政府批判で、デマや嘘が大量に混じっていたり、どう見ても公平ではない批判が溢れているのは事実だと思います。
客観的に見ればこういった、事実に基づかない批判や、事実に基づいていても材料の扱いが偏向している批判は、再反論を受けて訂正されるべき、というのは間違いありません。

しかしながら、そうではあっても、そういった「デマに対する批判」をする人たちの反論の多くも、大きく偏っているように見受けられますし、それらの偏った反論が主流になるとしたら、そちらの方が問題であると思います。

実際問題、政府の対応があまりに後手後手であり、かつ、失敗しています。大臣の対応も、誠意にかけ責任感を見出す事ができません。
トップに立つものの役割のひとつに、民心の安定や部下のテンションコントロールがあります。実際にまったく打つ手がなかったとしても、何かやっているように「見せかける事」、何もできる事がなくても、一緒に血と汗を流している「ふりをする事」は、とても大切な仕事のひとつのはずです。
加えて、今回の問題であれば、もっと早い段階で手を打つ事だってできたはずです。もし、できなかったとしたら、そうであると納得させる何かを証明してみせる事が必要です。少なくとも、国会での答弁で「対策は万全だった」などと公の場で言い切るような態度が、いったい、どのような印象を与えるのか、考慮すべきでしょう。

結局のところ、大筋では、政府が批判されるべき事をしている(やるべき事をしていない)、という事実は揺るがないでしょう。
その批判の中にデマが混じっているなら、それは訂正されるべきです。
しかし、その訂正はあくまでも「彼らは裁かれるべきだ。これは動かないが、この点に関しては事実ではないから除外すべきだ」という文脈の中であるべきです。「デマが混じっているから、批判そのものがおかしい」といわんばかりの主張をする人間がいるとすれば、その人間こそが、悪質な印象操作を行っていると断じてよく、これは、個々の事象のデマなどより悪質であると言ってよいと思います。

殺人犯が、被害者を殺す前にレイプしてようがしてまいが、殺人犯は殺人犯です。強姦殺人であるか、単なる殺人であるかで、量刑も印象もずいぶんかわりますから、強姦の有無を検証するのは間違いではありませんし、根拠なくレイプ犯のレッテルを貼られているなら、それに抗議するのも必要な事です。
ですが、仮に強姦の事実がなかったとしても、殺人の事実が動かないのであれば、裁かれるべきです。デマひとつで殺人の罪までなくなり、デマに基づいて批判している側こそが悪人であるかの如き文章を書いている人間がいたら、そいつは、殺人の共犯者に他なりません。
殺人犯の次に批判されるべきは、まさにそういった連中であるべきです。
# by kiminoseki | 2010-05-22 20:24